ねじの歴史

ネジの起源は、尖った巻き貝だと言われているようです。(他にも木に巻きついたツタや粘土を円柱に巻いていて発明した等諸説あります)ネジの形態をした最初の造形物はアルキメデスの揚水ポンプだと言われています(紀元前250)

上の写真はアルキメデスポンプの復元オブジェ 神奈川県の水族館前広場で撮影したものです 。このオブジェでは人が動力源ですが、実際のものは水車が動力となっていたようです。 佐渡の金山博物館に人形と一緒に展示されている鉱山排水汲み上げ装置の 「龍樋たつとい」 と同じ様なものです 。紀元前100年にはオリーブの実をつぶしてオイルを取るために万力(プレス)としてネジの送りが利用されたそうです。(木製 ぐーでん)結束用のものは、レオナルド.ダヴィンチのスケッチにネジ加工の原理が残されているので1500年当時だったとされているようです。このネジ切り機械には変え歯車の考え方が取り入れられています。

また、タップやダイスのスケッチもあります。 Leonardo da Vinci 1452-1519
金属製のボルト、ナット、小ネジ、木ネジは15世紀後半には登場していたようです。18世紀には金属の丸棒に精密ネジを切りはじめました。(顕微鏡の送りねじなど)1770年イギリスのラムスデンはいろいろなタイプのネジ切旋盤を発明しました。その後思いのままにネジが切れるモーズレイのネジ切旋盤(1800)が製作され工業用ねじ生産の基礎ができてきました。(Henry Moudslay1771-1831)(モーズレーのネジ切旋盤はロンドンの科学博物館に展示されている)日本では、1543年種子島へ漂着したポルトガル人の携帯していた火縄銃からコピーした銃底をふさぐネジが最初だったそうです。(忍者はこれよりも前に作っていたと言う話です。)


オリジナルの雌ねじはタップで製作したもののようですが、刀鍛冶の金兵衛産は、メスねじを鋳造で作ったようです。雄ねじはヤスリがけで作っていたようです。蛇足ですが、日本で最初に自転車を造ったのも鉄砲鍛冶だったそうです。というのも、やはりヨーロッパでも自転車は鍛冶屋さんが造っていたそうでその修理を横浜の異人さんが、宮田鉄砲鍛冶屋さんへもちこんだそうです。(今のミヤタ自転車です)火縄銃伝来の後1549年に来日した宣教師フランシスコ ザビエルが1551年に大内義隆に送った機械式時計(自鳴機)に利用されているねじ類が、日本に伝わった最初の締結用ねじだったようです。



さて最初の本格ねじ切り旋盤を作ったモーズレイの弟子のイギリスのサー ジョセフ ウィットウォースという研究者が,互換性のあるネジを検討しウィットウォースねじ形式を1841(1834?)に発表、普及を行いイギリスから世界に広がったそうです。(ウィツトねじ、ウィットワースねじ、ウィットホースねじとも言います)最初の標準ネジです。
1882(1885)には正式にイギリス規格(BSW)として採用されました(BSW1895、BSF1907)が後にアメリカ イギリス カナダは1948年ユニファイねじに関する協定を行い1962(1957?)年ISOに移行しています。

日本では、1927年にウィツトウォースねじ第一号(丸山)が制定され広く利用されてきましたが
1964年のねじ関連JIS規格改正で、ウィットねじは1968年3月限りで廃止されることに決まり、
それ以降の機械設計にはメートルねじを使用せざるをえなくなりました。


アメリカの機械技師ウィリアム セラーズ(1824-1905)はウィツトウォースねじを改良して標準ねじのセラーズねじを発表し(1864年)、1868年にはアメリカねじ(USねじ)として採用されました。ウイットはねじ山角55度ですがセラーズ、SI、ユニファイ、ISOは60度です。ASME(1905,1907) SAE(1918)を取り込み、アメリカねじ(1938)は1962年にアメリカ イギリス カナダは1948ユニファイねじに関する協定を行いました。

フランスは法律によりメートル法を採用(1799)し、1894年にメートルのSFねじ規格が制定され、これがスイス ドイツと会合して SIねじ規格(1898年)となり 1940年にはその他のヨーロッパ各国 ソ連 の同意を得て ISAメートルねじ制定に至ったそうです。これが後のISOメートルねじ規格となります。(1962).



第二次大戦では、アメリカとイギリス連合軍内でねじ規格相違により武器の互換が取れなかった反省から1943年以来アメリカ イギリス カナダで共通ねじ規格に関する検討を行い1948年にユニファイねじに関する協定を行いました。後にこの規格は一般民需にひろがっていきます。

1947に設立した ISO(国際標準化機構)は 1957 ISAメートルねじとユニファイねじを採用しISOメートルねじとISOインチねじになりました。インチ系が残ったのは、軍事向けの航空機規格(MIL)の影響が大きかったようです

日本では、ねじの伝来以来明治23年に工業生産化され、JES(日本標準規格)が制定されてから後、メートルねじ第一号(1927)がJES13号として定められ、1927年にウィツトウォースねじ第一号(丸山)が制定されました。1949年工業標準化法が公布され、JES 臨JESをJISに切り替えてJIS制度により1952年に、メートル並目ねじ、インチ並目ねじの工業規格を制定しています。
1947に設立したISO(国際標準化機構)とも互換のあるねじ系列に準拠するために日本工業標準化調査会の審議を経て1965年4月1日付けで(日本工業規格)が一斉に大改正され 、一般ネジはISOメートルねじ、航空機等は ユニファイを使うように決めたそうです。このISOねじ規格を取り入れたJISねじ規格を利用しているわけですが、実際には1968年に廃止になったウィットねじも建築関係などに利用され続けていますし、小ねじ頭形状、ナットの種別、ワッシャー寸法なども依然としてISO統合以前のJISを利用することが多いのが現実です。

これらの規格は付属書としてJISハンドブックなどに掲載されているものです。古い機器類の修理などには更に古い旧JIS規格のねじを求められる場合もあります。ねじ自体のピッチがM3、4、5、8等の径で異なるので、それらの径ではJIS(ISO)とは互換がありません。ISOではメートル並目ねじのM1.7 2.3 2.6が規定されていません、現在はJISの付属書にもありませんが、以前のJIS付属書には、将来廃止するので新設計の機器類などには使用しないほうがよいとあります。
しかし、M1.7は写真関連で、M2.3とM2.6は電子関連によく利用されていて、規格はなくなっても製品は実際に利用されています。ISOのM1.6やM2.5に落ち着くには、まだまだ時間がかかりそうです。


雄ねじにはサイズがあるのにナットには同様のサイズがない場合もあり注意が必要です。
 
+ナベ小ねじ頭の形状はJIS(ISO)とJIS(付属書)で異なります。
一般の市販品は依然としてJIS(付属書)の形状です。マイナスの小ねじ類は-平小ねじや-丸小ねじが一部あるだけで極小さいマイナス小ねじ以外のマイナス小ねじは市場から姿を消しています。
JIS(付属書)の-なへ小ねじは、JIS(付属書)の+ナベ小ねじと外観が一緒ですが、JIS(ISO)の-ナベ小ねじは-平小ねじを薄くして頭周囲に大き目のRをとったものになっています。
JIS(ISO)には+バインドや+トラスもありません。現在は付属書の規定となっています。
+バインドは弱電関係によく利用されますし、+トラスも化粧向けによく利用されています。
 

ねじの基本知識